昭和44年11月29日 夜の御理解 【入力者:岡村和一郎】
「用心せよ、わが心の鬼がわが身を責めるぞ」と、み教えにあります。「用心せよ、わが心の鬼がわが身を責めるぞ」と。うーんっ。例えば、不謹慎な、あー、こと。これは、こういうことをしよると、おー、おーお、お気付け頂くかも分からんけれどもとか、ね、または、教えに反して、いわゆる生活、いわゆる、うーん、背信行為ですかね、心に背いた行為。
えーそれが、あー、えー、自分で自分の心を責める(ほん?)になるのです。ですから、そのいうことを私どもが用心しなければなりませんが、まあ厳密にいうと、私ども背信行為ばかり、まあしておるようなわけでございますけれども。
まあ、それはそれとしましてですね、私達がどういうような、日々信心の心がけにならせて頂いたら、おかげが頂けるかというと、今日、研修会(通られ?)ましたら、うーん、今日は(どうせゆっこで?)中に、会話に入らして頂き、皆さんの話を聞かしてもろうたり、また、私の話を聞いてもらったりしましたですけど、その、う~ん、久留米の佐田さんの、あのー発表の中にです、今日は朝のご祈念にお参りして帰らして頂いて、朝のお食事をさして頂く時に話をしておられました。
帰らして頂いて、(むしょべつ?)書かして頂いたら、お食事のかかる前に、(話さんですね?)、ご主人が。どーでも、一つ佐田一家の者が、こうやって一生懸命信心のけいこをさせて頂いておるから、今朝の親先生のあの御理解を、もういっぺん心にはっきり頂いて、そして、この生き方でいく以外にはない、佐田一家の信心をここに切り替える。皆さんも、どうぞそのつもりで、(日々?)その、頑張ってくれということを言われ、もう教導もしましたと、こう言われるんですね。
えー、人の幸せと世のお役に立つこと、立つ、うー、ために躍進する、というような、おー話が昨夜も出てました。今朝からも、そのことを中心にしてのお話でございましたですね。
ただ、だから、御理解を頂いて、(ほんと?)聞いておるというだけでは、ならんのだけれども、聞いておるという人がどのくらい多いか分かりませんですね。ね。だからあの、今日の御理解を頂いて、もう今まで自分の小さいことの願い(とかなん?)、もちろん願いもしなければならんけれども、ね、もういよいよの目的は、人の幸せと世のお役に立つために、私達はこれから朝参りをさせてもらうばい、信心させてもらうばい、佐田一家はここに、今日を境に、親先生にあの御教えを頂いたあれを境に、また方向が変わったというて、その(今日どろ?)申します、皆が子供達にいたるまで、「ほんとにそうだ」ち言ってから、まあ、皆が共鳴し合うて、今日一日、有り難い一日をおかげ頂いたと、こう思われるんですけれどもね。
私、こういう生き方でいけばね、少々例えば、背信行為があってもです、お詫びさして頂き、お詫びさして頂きゃ、眼目が違うですね。心ん中に、いつも思い、思い続けておること。自分の心ん中にせつじ、もう切にそのことを願っておること、それは、人の幸せのためと世のお役に立ちたい、ウエッ、世のお役に立ちたいという、そういう願いがですね、いつもこの中にいっぱいありますから、人間生身を持っておりますから、いつご無礼がでけたり、いわゆる心にもない、心に背くことがようなことあるかもしれませんけれども、私は、もう(ついのおびが?)スキッとしてかのうていくような感じが致します。願いは違う、眼目が。ね。
ですから、今日、「用心せよ、わが心の鬼がわが身を責めるぞ」というてその、ただ、その、おー、御教えに、にー自分の心ん中に、自分で自分の心を責めるような、んー、よことのないようにといったような信心(家です?)。
もう一つ、その先の信心とですかね、ほんとに、人の幸せと世のお役に立つために、私どもが朝参りさして頂いておると、(難渋なお日参らして?)頂いておるということになったら、たいへんな素晴らしいことになる(から?)。で、それで実感としてそういうことができることになってきたら、ほんとに人の世のために、今日はもうお参りさしてもらうぞと、そのことを祈らしてもらうぞという、うー、その祈りを大きく持たして頂くということが有り難いという意味の発表を、佐田さんがしておられましたがですね。
ほんとに他の、えーお婆ちゃん連中もそれを聞いてから、もう、ほん~に私だんのおかげ頂ききらんはず。もう自分のこつやら、自分の孫んこつばーっかり、お願いしよりますけんの、ちいうてから、(言いよん?)なさいましたが。
そういう、そのお婆ちゃん達の、もうその自分ことだけしか見られないお婆ちゃん達に、何かを、この、佐田さんの、いわゆる今朝言われたことが、たいへんこう、ひび、い、いたという、あの響いたといったような感じでしたですね。
そう(あけたん?)ならしてもらうところに、私、あー、いわゆ大義名分に立っての、いつも信心がでけておるところにです、例えば、小さいお粗末ご無礼は、もう踏み、踏み分けて通らしてもらうといったような感じが致しますですね。どうぞ。